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紋三國神社印

境内

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境内整備
天保2年三國湊の段森は、専ら湊の総氏神・山王宮の御恩恵の賜と湊の豪商内田惣右ヱ門の主唱により天保饑饉の難民救済の事業として境内整備、社殿の改装等の工事に着手。幾多の困難を突破して天保10年に完成する。


鳥居
境内写真1
明和4年4月建立、安政2年(1855)に再建。明治45年に当町・松川仁平氏の寄進により銅板を巻く。銅板の細工人・山本岩吉氏。

鳥居奥の石段築
嘉永元年(1848)築造
これに用いた石材は、汐見橋の古板石を使い、港内各地から寄進されたものである。

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随身門

県指定有形文化財

境内写真2
棟梁・森町大工・安右ェ門・23歳
神社楼門(随身門)は和様を基調としながら扇垂木など禅宗様を加味している。
組入天井を縁板の下まで張ったり、軒に菱支輪と雲支輪を併用しているのもめずらしい。
この楼門は元治元年に釘始・明治3年に完成した。
楼門の左右の随身像は明治2年・松
下町の寄進である。随身像の作者は当湊の志摩竜斉で、楼門上の光華閣の3字額は慶応4年・第17代福井藩主・松平茂昭公の寄進である。

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拝殿
境内写真4
天保2年(1831)内田惣右ヱ門の主唱で窮民救済のため社殿改築、境内整備の工事がはじまる。
天保11年還宮式 棟梁・寺町大工・八十島四郎兵衛 拝殿彫刻
正面唐破風の下に懸魚の鳳凰、母屋の桐花
虹梁上の群猿両側の木鼻の湊の彫刻作者は志摩乗時である(町指定文化財)。
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本殿
創建・延長5年(927)祭神千手観世音・桜谷の地に小社を建立。
天文9年(1540)湊の住人の板津清兵衛が高柳から流れてきた御神体を拾上げ正智院に奉納。
天文13年・小社を建立。さらに永禄7年(1564)桜谷の地に山王宮を建立する。
この祭神は先に流れついた御神体・大山咋命である。
時は流れ明治4年に山王宮も桜谷神社と改称する。明治5年興ケ丘の水門宮の御神体・継体天皇を合祀する。
明治18年に三國神社に改称して現在に至る。

式内 三國神社 福井県坂井市三国町山王6丁目
祭神 大山咋命(山王権現)継体天皇

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神馬堂
境内写真5

明治4年3月・神楽殿を普請して神馬堂とした。

神馬作者・三國住人・島 雪斉
神馬寄進者・三國与兵衛

神馬写真
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神輿堂
境内写真6明治8年建立。
棟梁 西川安右ヱ門

祭礼に使う表幕は、明治年間に当町出身の力士「千賀の浦」の寄進したものである。
大御神輿
祭神 山王大権現大山咋命

安政2年・京都で作成
作者・山田屋平兵衛
世話人・魚屋喜兵衛
代価・262両

小御神輿(船形神輿)
祭神 継体天皇

文政5年・京都で作成
水門宮の神輿であったが
継体天皇の合祀により
桜谷神社に奉納した

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・八幡神社の祭神は、応神天皇で「桜谷地主神」として古くから祀られていた。
 森町には特に鍛冶職が多く居住していた関係から、弓矢の神である応神天皇が守護神として崇敬されていたのである。

 

 
・木立神社の祭神は伝説的な英雄ではなく、幕末から明治における福井藩の名君松平慶永である。
 明治24年に三国神社内に建立され、郷土出身の彫刻師島雪斎が彫刻した松平慶永の寿像に太刀一振りと立願文を添えて氏子が祭った。
 

ケヤキ大樹

ケヤキ大樹1
神社境内には、杉・松・タブノキ・ケヤキ・スダジイ等の大樹が覆い茂っている。
その中でも、特に大きいのが鳥居の右横にあるケヤキである。
安政6年(1859)に、境内に松、杉、高野マキを植えるとある。樹齢は約600年といわれている。

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随身門
境内写真2
 桜谷公園は、三国町内でも桜の名所として名高く4月中旬には公園一面に桜が咲き乱れお花見に家族連れなどが訪れます。
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