福井県指定無形民俗文化財指定
   
1.名称
  三國神社例大祭 三国祭
 
2.由来
   北陸三大祭の一つとして称せられ、毎年5月19日〜21日にかけて行われ、10数万の参拝者で街中が賑わう。
 神輿2基、神宝捧持の行列、武者行列に名物の武者人形山車6基が湊町の情緒をかきたてる。
 三国祭の歴史は古く、江戸時代中期までさかのぽる。元禄10年(1697年)の町内大門町記録によると、「笠ほこ」が祭の主役であったと記されており、これが三国祭に関する最古の記録とされている。宝暦3年(1753年)の記録によれば、この年10の「山」が奉納されたとされ、各町内も飾りに腕を競ったようだ。
 その後18世紀の終わり頃より人形を飾る事が定着したようで、細工の見事さとともにますます巨大化し、車屋台に大きな人形が乗るという今日の形になっていったようだ。
 三国祭の山車は18基あるが、そのうち毎年6基が奉納される。中日祭である5月20日の12時までに当番区の山車が三國神社前に、1番から6番まで勢揃いして奉納する。 午後1時に神社前を出発し、旧三国町内を区民が自分の区の山車を曳いて巡行する。
 250年の歴史を刻んできた山車、神輿、武者行列の巡行である。この日は町内の殆んどが休日で夜9時頃まで巡行は続く。
 三国祭の行事は神仏分離以前の江戸時代以来の伝統習慣を今日に伝えるもので、他にあまり例を見ない興味深い行事を継承している。
 
3.山車(やま)
  (山車の特色)
 山車は二層で屋根をつけず、上段に巨大な人形を乗せることを特色とする。人形(ただし桜町区のみは桜の木の作り物)は毎年、武者人形や
時々の世情に合わせた人形が作られ、芯の柱に竹で編んだ胴体を巻き豪華な衣装を着ける。
 人形の制作は町内の人形師に依頼することが多くなったが、近年区によっては自主制作する例も出てきた。

(山車の数と山車番(やまばん))
 町内には現在18基の山車が伝えられている。古くからの区は1区毎に所有しているが、比較的新しい区は数区で1基の山車を共有している。 例年奉納される山車は6基が基本で、山車を出す当番区のことを山車番(やまばん)という。
 古くからの区は3年に1度だが、8年に1度程度の区もある。

(山車の屋台)
 屋台は、比較的簡素なものが多く白木のままのものも幾つかみられるが、松が下区の堅木細工、中元区の蒔絵の装飾、など豪華なものも見られる。屋台は区によって多少の大小はあるが、ほぼ、高さ3.5m、幅2.0m、長さ3.0m程度で、左右に大きな(直径1.8m程度)木製の車輪をつけ、後方の下部に舵を取るための小形の車輪(直径0.6M程度)をつける。
 従来、山車の屋台は分解して保管されてきたが、各区、山車小屋の整備に伴い組み立てたまま保管されることが殆んどとなった。

(山車の囃子方)
 山車の下段は水引き幕で被い、囃子方が乗り込む。出しの前方に大小の太鼓を置き、子供(小学生)が打つ。囃子方は、太鼓、笛、三味線総勢七名程度。
  区によって曲目は変わるが、「通り囃子」「戻り囃子」「待ち囃子」「練り囃子」など状況に応じて弾き分ける。三味線が囃子に使われることが大きな特徴である。

 

例大祭時、神社で行われる神事

日     時
行 事 名
内      容
 5月15日17時
宮 開 式
神社役員が参拝する。
 5月18日13時
山車奉納祭
神社役員及び山車当番区長が参拝する。
 5月19日10時
大祭 式典
町長、警察、消防、学校等の官公庁及び有力企業の代表者、神社役員が参拝する。終了後、社務所で代表者及び神社役員で直会を行う。
 5月20日10時
中日祭式典
 
 5月20日12時
神輿発幸祭
神輿発幸祭終了後、12時30分頃に先ず行列が出発する。次に神社より小神輿に対しての挨拶が終了後小神輿が出発する。住吉神社前で列を整え、おけきん前付近で1番山車の出発まで待機する。
 5月20日12時半
山車発幸祭
山車発幸祭終了後、鳥居下で神社より山車当番区長に対してのお社の挨拶があり、13時より1番山車・2番山車・行列・小神輿・大神輿・3・4・5・6番山車の順で巡行する。
 5月20日19時
神輿還幸祭
 
 5月21日10時
裏祭 式典